こんにちは、さとももです🍑
ご覧いただき、ありがとうございます!!
現在都内の大学に通う20歳です。
Webビジネス学習を開始数か月で、
2件のコンテンツプロデュース&販売のコンサル受注。
コンテンツビジネス関連では収益100万超えを達成。
有難いことに日本全体で4位の
副業系オンラインサロンセミナーの
受付する機会にも恵まれました。
他にもLINE構築代行&運用講座に加入して
10日で初実務案件を紹介され、
さらに1か月後には、合計3案件に加入し6桁達成。
毎日が新鮮で刺激を受け学びになる。
切磋琢磨できる人との関り、支えてくれる仲間。
目から鱗な情報を知れる喜び。
誰もが知る企業様の案件に参画しています。
「今日も最高だけど、明日も未来は
さらに待ち遠しいほど充実してる!!」と胸を張れる。
心からワクワクする生活を送っています。
本当に幸せだなとしみじみ感じます。
プロフィールを公開した理由。
今回なぜネット上で公開したのか。
本当の私を知ってもらうためです。
多くの方に
「今のさともも笑顔を見ていると
自信に満ち溢れているように見える。」
「若いのに本当に凄いね、仕事もできるし
メンタルも強くて一人で生きていけそう。」
こういった言葉をよく頂きます。
1年前には思いもしなかった嬉しい言葉の数々、
本当に本当にありがとうございます。
確かに今現状を切り取ると
人生上手くいっているように
思われるかもしれませんが、
決してそんな事ありません。
特別な才能やスキルも無く、
学歴も無い、平凡な文系女子大生でした。
というかむしろ、目が死んでいるタイプ。
大学受験には失敗し、
単位のためにだけ通う学生生活
どうせ努力なんて報われないと諦念。
彼氏と別れ人間不信でやさぐれ、
本音を話せる友人も片手の人数ほど。
夫婦・家族関係は口論ばかりで崩壊状態
家でも落ち着ける場所がなく
生きる気力を見失っていました。
これが本当の私です。
全てから身一つで逃げ出したい
忘れたいほど苦しいことばかりでした。
こんなにどん底だった私でも
今のように心の底から笑える
幸せを噛み締められる今に感謝。
頭も悪い才能も自信もない。
毎日生きづらかった私でも、
良い方向に人生が変わることができた。
私の人生の逆転劇をご覧になって
「あんなにどん底なさとももでも成し遂げたらな、
自分でもできるかもしれない。」と思えるはずです。
今は辛くても人生に悲観して諦めず
1人でも多くの方に希望を持って欲しい。
そんな想いを込めて
改めて過去の記憶を思い出して
涙を流しながら赤裸々に言葉に綴りました。
ちゃんと過去にけじめをつける、
機会になりました。ありがとうございます。
それでは書いていきますね!!
↓ 私のプロフィールの流れです ↓
私の幼少期時代
2000年に生まれました。
家族は両親、兄、私の4人家族。
父は家族思いで責任感も強く頑固ですが、
一家の大黒柱として家族を支えてくれています。
母はニコニコ明るく、
みんなに好かれる人柄で
THEモテる女性(私と真反対w)
温厚で人当たりも良い母。
ただネガティブな方向に考える癖があり心配性な性格。
兄はお調子者系で楽観主義者
わりと兄弟間は仲良くやっています。
幼い頃は家族でキャンプや旅行に頻繁に出かけ、
すくすくと愛情をはぐくまれて育ちました。
小さい頃から好奇心旺盛で、挑戦することが大好き。
パパっ子で、、いつも父の膝の上が私の定位置。笑
近所の幼稚園に通い、受験とは完全に無縁な生活。
ごくごく平凡な家庭で、公立の小学校・中学に通いました。
メンタルずたぼろ中学3年間
新しい友達が多くできることを期待して、
中学生からの新生活を楽しみに待ち望んでいました。
しかし、本当の地獄をこれから
見ることになるとは露も知らない12歳当時、、、。
部活はバドミントン部に所属しました。
理由は外部活で焼けたくない、
他の体育館部活と比較して楽そうに見えたから。
ところが、実際に始めてみると、
想像の100倍めちゃくちゃ動くし本当に疲れる。(笑)
しかも夏の場合には、
風があると羽に影響が出るので、
猛烈な体育館の暑さの中窓全閉め。
何度ぶっ倒れて死ぬかと思ったのか。
中学は上下関係が厳しすぎて、部活関係無く
女子の先輩に必ず挨拶という謎すぎる文化まで存在。
もちろん部活の先輩は、神様レベルにもてはやす日々。
いつもビクビクしながら部活動へ。
呼び出されたりして説教もしばしば。(笑)
残念なことに小学生の頃から運動神経が皆無。
同学年でビリのポジション……。
特にバドミントンやテニスなど個人競技の何が辛いって、
番手という名のランキングが明確に示される点。
部活3年間が私の自己肯定感をどん底に突き落とします。
何も価値を生み出さない私の存在
同学年の5人中2人はクラブ経験者、実質3人の番手争い。
自分の元の能力の低さを痛感していたので、
その中でも人一倍努力しました。
「ジャニーズのライブがあるから今日休む♡」と
他の子の言葉を聞きながら、
「さとももには負けるはずない」高を括られれていた
同級生を見返すために、
絶対に抜かそうと部活は1度も休みませんでした。
自主的に筋トレやランニングにも励んで。
結果から言いいますと、3年間ビリのまま。
一度も抜かせませんでした。
大会でも1度も勝てませんでした。
あの子よりも確実に練習しているのに。
真面目にやっているのに、一向に報われない。
「しょっちゅう遊んで努力もしない
部活さぼる奴に負けるのか、、、。」
自分の能力の無さを恨みました。
「今度こそは!今度こそは!」と思いながら
必死にが励んだ甲斐も空しく
何も実りが無い3年間をただただ費やす。
圧倒的なワースト1位だったため
私だけ後輩と組んで試合に出ていました。
同級生とペアを組むことは叶わず
1年もプレー期間に差があるはずの後輩と一緒。
日々の体育館の練習でも私だけチームが違う。
大会でペアごとに並ぶとき、
私の横だけユニフォームの色が他と違う。
能力の無さが露わになる大会が大っ嫌い。
会場では周りの目を気にして、
いつも恥ずかしくていたたまれなかった。
他の学校の人から
「なんであの子だけ?
ダントツで下手だよね(笑)」と
後ろ指さされる気がして
大会前には羞恥心や不安にさいなまれて、
毎回1人ベットの上で泣いていました。
そんな調子ですから試合本番は体が硬直し、
ただでさえ下手なのに日々の練習より
毎回酷い結果で惨敗、本領発揮できずの悪循環。
「なんでいつも通りにできないの?」と顧問にも呆れられていました。
努力しても叶わない、不幸の始まり
一応団体メンバーに選ばれていました。
ですが同学年が5人でラッキーなだけで
実力ではなく、所詮数の埋め合わせ。
大体の試合で、経験者の一人がシングルス、
経験者のもう一人が上手な子と組みダブルス、
私は同級生の子とダブルス。
いわば、私のダブルスは“捨て駒”。
負けても他の二つがとるから、勝てばラッキーくらいの扱い。
私は貧乏神のごとく団体の試合でも
個人の試合でも一度も勝ったことが無い弱小。
ペアの同級生の子から、
「なんでさとももと組まないといけないの!?
他の後輩に変えて。」と何度も言われました。
団体じゃなければ上手な子とペアも組めるし、
現に個人戦のダブルスでは、
その子はベスト8など勝ち進んでいました。
何度も自分を責めた。恨みました。
「私が下手だからいけないんだ。だから負けてしまうんだ。
ペアの子の機嫌も次第に悪くなる。全部私がいけないんだ」って
「私はこの部活にいない方が良いんだ。
誰からも求められないし、足手まといな存在。」
何度も心の中で叫んで気持ちを押し殺して
みんな何かしら勝ち進んだり、
賞状を受け取る中で
私だけ個人も団体も一回戦敗退。
自分の力の無さを思い知らされました。
ずっとずっと私だけ仲間外れ。
永遠に追い付けない、埋められない差。
そのくせプライドは無駄に高く親の前では
”できる娘”を演じたかった。
グループとしてはいつも勝ち進み、県大会まで出場。
親は団体戦に選ばれていると、とても喜んでくれた。
けれども本当は本当は「私は勝てたことが無い。」
なんて口が裂けても言えなかった。
「見られると緊張するから大会来ないで。」と言い訳して
負ける姿を見られたくなくて
いつも日程や場所をごまかしていました。
親の前で演じる”理想の娘”と現実の”冴えない私”
勝手に自分で首を絞めているのに、
ダブルバインドに挟まれて心にダメージを食らう日々。
中学生なんて”運動できる=存在価値が高い”
カーストがあり非モテへ一直線。
中学時代のイジりの言葉なんて
愛もなくて酷いものでしたね。
ウケ狙いで言っていることも理解できでも、
内心はグサッと傷ついたこともざらでした。
クラスでも自尊心がひそかに傷つけられながら、
本当は嫌な気持ちに蓋をして、
皆の前で笑ってごまかして過ごしました。
部活の自分の存在意義を喪失し、
クラスでも雑魚キャラでイジられ、
全てのネガティブな言葉を
真に受けて受け取っていました。
そんな私ですが、
当時の唯一の自信の源は勉強。
公立の中学内では比較的良く、
大体10位内を維持していました。
部活内でも私だけずば抜けていて、
「さとももは勉強はできるもんね。」
そこで何とかメンツを保っていました。
この軸だけが唯一、
精神ボロボロで存在の意義を見いだせない
自己肯定感どん底な私を支えてくれました。
ついに高校生デビュー
県立に進学し、偏差値60後半の自称進学校に入学。
「今度こそはダメな自分を隠して青春するぞ!!」と
意気込み高校生デビューを誓う私。
進学した高校は、全体的に真面目な校風で
本当に良い人ばかりで優しい人達でした。
周りに過去の知人もいないおかげで、
高校デビューを無事果たしました。
以前は周りになめられていた、
いじられる側の人間が、
いじるキャラに変換までして
一転した3年間を送りました。笑
しかし、唯一得意とした勉強面でも
同じような学力の子が集まれば当たり前ですが
どんなに努力しても良い成績を得るのも難しく
中間層のやや下に属していました。
現実と向き合う事を放棄した心の弱さ
部活に関しては高校から
新しく始める人が多い硬式テニス部に入部。
しかし、入部してみて10人中8人が元ソフトテニス経験者。
ガチの未経験者の私と、もう一人の子は既に硬式テニス経験者。
大体の部分はソフトテニスと似ているため、
他の子が素振りやボールを打ち返している中、
私は先輩とマンツーマンで基本のフォームから、
ボールとの距離感の掴みから四苦八苦。
部活はだんだん打てるようになり、
成長もできて楽しめましたが、
夏が過ぎて秋になり時間が経過するごとに
過去のように後輩と並べられて
抜かされるのではないか
不安が次第に脳内から離れませんでした。
以前の様な不安に押しつぶされて、
過呼吸気味で眠れない日が続きました。
そして耐えかねた私は、とある決断をしました。
‘’退部‘’です。
顧問には勉強に専念したいと思い、
11月末に退部すると意思を伝えました。
「勉強面も部活でも中途半端になるなら、
どちらかで結果を残したい」と思っていました。
このままの成績では、
志望する早慶にも受かることも厳しい。
これも本当に考えていたことですが
本音は”ストレスと不安から一刻も早く逃れたい”だけ。
また後輩に抜かされるかどうか苦しい思いを
もう二度と味わいたくなかった。
あの頃思い出すと、心臓が苦しくて息が苦しかった。
そう、弱い私は部活動から逃げました。
偽りの陽キャラの闇
先ほど少し述べたましたが、
高校デビューのおかげで、
比較的賑やかな輪に入ることが出来ました。
中学時代は散々いじられ倒されたせいで、
「弱い面なんて人に見せてはいけない」と脅迫観念にかられ
絶対いじる側になってやると心に決意。
永遠に抜け出せない虚構の姿
そこで高校生活では弱みを見せず、
常に余裕があるフリをして、自分を演じる生活。
しかし、これまで人に褒められる経験が
圧倒的に無かった私は疑心暗鬼で
誉め言葉を素直に信じることが出来なかった。
「これまで、キモイとかしか言われなかった私に、
本気で言っているのか?お世辞じゃないか?」と疑ってばかり。
素直に受け取ることが出来ず
なんと反応していいかわからず
いつも苦笑いをしてリアクション。
男性と付き合っても、
「気が強そうに見えるけれど本当の私とは違うし、
過去のあの時のダサいキモい弱い
私を知れば嫌いになるかもしれない」と不安に。
できる女を演じて気丈に振舞っていたせいで
弱音を出せず、辛い時に頼ることが出来なかった。
本当の自分を見たら知れば、
冷めてしまうのではないか。
演じている自分との乖離にずっとおびえていました。
なんせ自己肯定感が低く、存在に価値を感じられず
自分と過ごす時間が、相手の迷惑になるのではないか
部活動や勉強の忙しさを考えると尚更でした。
相手からの言葉を待ってLINEが来て
必要とされていることを感じては一喜一憂。
他人の評価でしか自分を認められない。
自我が無く非常に脆いアイデンティティでした。
高校デビューを果たしたものの、
心底には自分への自信の無さが奥底に刻まれ
自分が嫌いで、嫌で変えたくて仕方がなかった。
真の根明になることは出来ず、無理をしていました。
嘘で塗り固めた学校生活
元々は陽キャラではない私には、
グループは居心地が悪かった。
みんなのノリについていくのが必至で、
けれどもグループから出るのが怖くて
いつも無理して笑ってその場を過ごしていました。
「友達がいない、1人でよくいるよね」と
周りに言われるのが怖くて、いつも偽の自分を繕っていた。
一緒にいながら頭の中で
「この中に私という存在がいなくても、
成立するだろうな。私なんている意味あるのかな。」
学校で同じグループにはいても
誰かと2人きりで遊ぶなんて一切なし。
ここでも所詮数合わせの存在にしか思えませんでした。
けれどもかつての惨めな自分に戻りたくない
プライドが邪魔をして、
素を出せず誰にも言えず悶々と過ごす高校生活。
周囲から見たら”グループでキラキラ女子”
しかし実際は”偽りの陽キャラ”で無理をしているだけ。
自分に自信が無く友人にも
ほんとの自分をさらけ出すことが出来なかった。
ずっとダメな自分も受け入れもらえるか不安だった。
高校3年の間、恋愛でも無理をして
仮面の自分を演じ続けた結果上手くいかず
大親友みたいな友達も出来ず。孤独な3年間に。
大学に入ってから、
1度もグループの人と連絡も取ることも無く
私の3年間は空虚な思い出に。
あの時過ごした日々は夢だったのだろうか。
心から笑えた時はあったのだろうか。
今でも思い出すと悲しいですね。
大学受験失敗
定期的なクラス別けテストをこなし、
予備校の早慶クラスには属していました。
ところが、部活引退勢が徐々に加わり
思うように模試で成績が以前ほど伸びず、
日に日に志望校に対して焦りが募る。
予備校のスタッフさんに話を聞いて貰う日々。
英語の先生からも、私の挙動不審さが極まり
「ちゃんと寝ているか、大丈夫か。」と心配される程に
精神面で追い込まれ参っていました。
結果は早慶全落ち。浪人も考えましたが
私のメンタルが崩壊寸前で後1年持たないと断念。
受験勉強の失敗は、“誤った自己流”דメンタルの弱さ”によるもの。
平日は学校から帰宅して、塾で6時間。
土日は朝から夜まで、2食持ち歩いて14時間勉強。
お弁当食べている間も、お風呂に入っている間も参考書を離さず。
今思えば、この時も量より質が出来ていませんでした。
「こんなに勉強しているから」と無駄な自信が湧く。
ただ勉強してればOKみたいな。甘さが際立つ。
全てを失った瞬間。
勉強に傾斜するために辞めた部活、
浪人という選択肢を拒み、
受験勉強も最後まで向き合うことから逃げた。
結局両方から逃げて、すべて中途半端に終わった。
何にも私に残らなかった。
かつての唯一の支え”勉強はできる私”はもう通用しない。
何も強みが無い自分。
「あぁ私は運動も勉強もできない。
全てから逃げた根性なしで取柄もない。
何もできない意味のない存在なんだな。」と
自己の能力への絶望から
合格発表後の1週間食べ物もまともに、
のどに通らず引きこもり生活。
高校生活で捧げた時間が水の泡になったように思えて、
結局努力したって意味ない。
中学生の時から何も変わってない。
何も価値か無い。
その日から自分に期待することを辞めました。
自分の可能性を低く見積もって
挑戦すること避けることに。
また本気で取り組んで、何も結果が残らないのが怖かった。
次こそ何も報われなかったら、価値の無さが露呈して
生きていけない気がしていました。
世間で聞いていた明るい楽しい”大学生”を送る予定が
志望校とはかけ離れた不本意な大学進学。
どことなく気が乗らない沈んだ春休みを迎えました。
孤独な一匹狼大学生
学歴コンプレックスを抱えたままの進学。
「志望校に合格した同級生を見返したい」と粋がっていました。
私が切に望んで夢に見ていた大学に進学した
友人のInstagramを全ミュート。
大学生活を謳歌しているさまを見たくなかった。
胸がはちきれそうだった。負けを認めたくなかった。
劣等感の塊で哀れな人生
受験に落ちた分際の私は当時
「私は早慶に受かる能力があるのに、
こいつらと一緒になりたくない」と本気で思っていました。
どこかいつも、同大学の子をどこか見下していました。
周りが飲み会でドンちゃん騒ぎをしても、
「何やってんの??時間の無駄かよアホすぎ」と距離を置いて、
楽しんでいる大学生活を冷ややかな目で見ていました。
皆様が思うように、今思えば本当に痛い奴。
自分に能力が無いくせに無駄に
プライドが高くて現実を受け入れられていない。
せめて本当の自分の能力を認めて、
楽しむことに一度くらい尽力してみればいいものを。
ほんとに自分が痛すぎて、手が付けられないレベルにひどい。
実際に何かしているわけでもないくせに
勘違いしている超イタい人でした。
大学は高校のようにクラス制度が無く、
自分で時間割を組むことが出来る自由さ。
ただし積極的に人と交流しなければ孤立一直線。
大学では尖っていて性格も皮肉めいて
友達がほぼいない生活を送っていました。
そりゃそうだ、こんな卑屈な奴と一緒にいたい訳がない。
向こうから願い下げですよね。(今の私が見ても嫌です。笑
「私の知っている華の大学生活じゃない。
こんな生活を送るために勉強したんじゃない。」
常に満たされない気持ちを抱えていました。
全然楽しめない大学生活。
その状況で畳み掛けて、悲しい出来事が襲いかかりました。
精神をむしばむ母の病気
大学1年生の梅雨の時期。
更年期の体調不調から母親が寝込むように。
次第に表情が暗くやつれて
元々気にしい悩みがちな性格でした。
兄の出産後の20年ぶりに鬱病の再発。
テレビで聞いたことはあっても
詳しくは全く知らず、関係無いやと無縁な存在でした。
突如目の前にその症状は現れ
日に日に悪化する母の姿。
ホルモンバランスの乱れか
母は身体的にも衰弱し、
まともに睡眠もとれない。
一日のほとんどを布団の上で過ごす毎日。
外に出かけるにも腰が痛い、
首が痛いだの体の不調は絶えず。
精神的にも一杯一杯になり、
思考もままならない状態。
「何をしていいのか自体がわからなくなる」
父も兄も朝から夜まで仕事を行っている為に、
比較的時間の空いている学生の私が、
家事全般を担うことになりました。
私が料理を代わりにするのは厭わないが、
以前の母を思いだすと涙が止まらず。
料理好きであった母のご飯は
栄養満点でどれも美味しくて大好きだった。
しかし今は、材料を見ても
何をどうしていいか考えることが来ず
料理が全くできなくなっていました。
仕事にも出かけられなくなり、
そんな衰弱していく姿を目の前で見ることが耐えられなかった。
家族を温かく見守る器用で
美人な笑顔の似合う母はもうどこにもいない。
いつ母の顔を見ても、笑顔は無く、
顔の手入れも行き届かず肌全体はカサカサで、
いつも何かに怯えて挙動不審気味。
いつもネガティブな言葉ばかり発して、
朝からずーっと負のオーラをかけられる毎日。
「昨日も眠れなかった。
何をしていいのかわからない。今日も体がだるい。」
毎日こんな内容の繰り返し。
残念ながら自己肯定感皆無の私にはキャパオーバー。
何か月も共に暮らしていると、
こっちの気が狂いそうになった。
一時期は母の顔を見ると、
動悸が止まらず次第に私の呼吸が荒くなった日も。
自分の中でストレスを消化できず、
発狂したこと、突然涙が溢れること何度もあった。
たまにの外出や外泊でさえ
「さともも、早く帰ってきて、
あなたがいないと私はダメなの。
不安で夜も眠れなくなる。やっぱり行かないで。」と毎回言われる。
母の言葉が私を動けなく、
私のささやかな自由を奪う。
帰ってきたら
「さとももの手作りのじゃないから、
昨日からご飯何もたべてないの。」と
実際は食べているにも関わらず平気で嘘を言う。
気を引きたいのか、虚言癖というか
話を盛り家族を混乱させることも多く
混乱すること多々ありました。
ただでさえ長時間家にいるというのに、
ここまで要求されると私のメンタルが限界を迎え、
本人にブチ切れる悪循環。
母が病気であるなんて百も承知。
だから母を叱る自分に悲しくなって
平常心を保てない自分に嫌気がさして
「なぜ暴言を言ってしまったのか、
お母さんは病気なのに。仕方がないでしょ。
これまで面倒みてくれた恩があるのに。」と
母を大切に思いながらも、
目の前に見るとストレスが募り
感情をコントールできず自己嫌悪。
特に大学2年生になってから、
コロナの影響で自粛要請。大学も完全オンライン。
外出もままならず毎日毎日
24時間牢獄に閉じ込められている感覚。
負の雰囲気に閉ざされ気分も浮かない。
私だけでなく、他の家族もイライラがつのり
喧嘩なんて日常茶飯事。
お酒が入った父の機嫌を損ねると
何をされるかもわからず制止もできない。
耳栓をしても罵倒している父の声が響き渡る。
私が夢に描いていた大学生活は想像以上に辛く暗く、
しんどいものなのかと無性に涙が止まらなかった。
朝起きても地獄、大学に行っても楽しくない
そしてコロナで外にも出かけられない。
何も人生で楽しみが無かった。
生きている楽しさを全く見いだせなかった。
新たな可能性へ踏み入れる偶然の出会い
しかし幸いなことに、母の病気で
個のスキルを身に付けようとする契機になりました。
大学入学当初は塾講師のバイトを行っていましたが、
母の病気をきっかけに時間が無くなり
大学生活×週3回も通えず辞めました。
そんな時に大学時代の友人に
「ラウンジ嬢やらない?短時間で稼げるよ(笑)」と言われ
その場で一緒にノリで登録、
時給5千~1万円をベースに稼ぐように。
家を出る前に母用のご飯を作り
帰ったら晩御飯と洗濯など
家事と平行しながらバイト並みに稼ぐために
残された選択肢が他にありませんでした。
学校帰りに化粧しなおして、
一日数時間で2~3万くらいは稼いでいました。
週に1回で月10万は余裕で超えていました。
金銭的な享受が大きいものの、
通常のバイトと比較して、ストレスが尋常ではない。
リピートして貰う為の、
営業LINE対応にも追われ、
プライベートの時間でも、
媚びている自分に吐き気がする。
週に1回だとしても
前後は気分がひどく落ち込んで
気分がどんよりしながら
バイトでは明るく可愛く
相手の行動を見て気遣いも欠かさず。
気を張りっぱなしで心が疲弊。
「自分は時間が無いから、これしかない」と
言い聞かせて無理して続けていました。
そんな時コロナウイルスが流行し、
自粛対応を余儀なくされ仕事が激減。
このままでは良くないと思っていた私は、
ついにラウンジ嬢にピリオドを打ちます。
しかし一度この世界に足を踏み入れると、
もう時給1000円の世界には戻れなかった。
変に時給感覚が狂い、
「普通の時給労働には戻れないけど、
スキルは無いし、どうしよう。」と色々考え付いた結果。
ビジネス系インフルエンサーの方を
Twitterでフォローし始めて情報収集を開始。
そこでの情報を元に、
プログラミング、せどりを開始。
せどりの教材5万円分は回収し、
売上も悪くは無かったが、
次第に飽きてしまう性分でやる気が続かず。
結局、どれも熱量が続かず1~2か月で断念。
「才能も継続力も無い。致命的にヤバイ。
でも絶対バイトはしたくない、どうしよう、、。」と途方に暮れていました。
しかし、そんな私に大きな転機が訪れることに。
新世界へ直面
とあるTwitterアカウントのプロフィールにて
20歳でセミリタイア。
今では何もしなくても自動で収入が上がる。
目がくぎづけになりました。
バイとは嫌だけど稼ぎたい、しかも在宅でOK。
その文章一文で藁にすがる思いで
コンテンツビジネスに足を踏み入れました。
教材の内容を聞くだけで見るだけで
マーケテイングのお陰で、新しい世界が目の前に広がる感覚。
何も楽しみが無い私に勉強の好奇心が
再び心の居場所を提供してくれました。
飲食店に入っても、映画を見るだけで
「これってあの時学んだ内容が使われている!!」と
気づくことが多く、全てが学びになる楽しさ。
自分の力で商品が1→10にまで売ることが出来る、
マーケティングの可能性に無我夢中。
そんな世界に気づいた時には、もう虜でした。
寝る時間も削る位にのめり込みました。
私利私欲は全て捨てて時間も全てを捧げて
何度も復習してセミナーやオフ会にも参加して
SNSで発信しながら人脈をコツコツ形成。
そのお陰で案件を頂けたり、
メルマガの読者さんと交流出来たり。
商品やコンテンツを販売したい人との懸け橋を担い
8カ月後には累計収益100万円を達成。
会社に依存せずとも稼げている喜びを感じながら
収入の限界に薄々気づいていました。
一応案件は継続があったり、
メルマガをリリースをして
生活費は稼げる未来が見えても
その先のビジョンが真っ暗。
「一生食べていくには無理だスキルが足りない。
自分の言語化できる強みが思い浮かばない。」と悟りました。
今の私の実力や人脈では飛躍は不可能。
環境を変えようと1人暮らし
1年間休学を決意したけれども
個人単独で稼ぐ世界に壁を感じていました。
誰かのコンサル生でもないから信頼性も無い。
若くて稼げる人は他にもいるし、、、
実績数も乏しい、、ドンドン弱気になる私。
「あ~~このままじゃ永遠選べない立場だ。
実力をつけて私は選べる立場になりたい。」と思ったんです。
明るい未来へ大きく飛躍できた瞬間
じゃあ選ばれる為には、何が必要か??
①1つに特化したスキル
②人脈・コミュニティ
➂案件獲得の場
「この3つの条件に当てはまって、
今のマーケテイングの知識が活用できる場所はどこ??」
とあちこち探し回っていると、
そんな時に”ワンダフルステップ”と出会いました。
幸い過去に学んだマーケテイングが活きて
加入してかとんとん拍子にことが進んで
有難いことに2か月以内に大型案件4件参画
25万円の収益を確定させることができました。
努力するほどに反映されて、実際に評価される。
テストや大会のような一発勝負ではなく、
自分の学習過程も認められる。これが何よりも嬉しかった。
これまでの人生の中で初めて
認められ、役に立っている実感が湧きました。
まだまだ自己固定感が高いとは言えませんが、
過去と比較すれば、前よりずっと自分を好きになれました。
自分の存在意義を、価値を認めることができた。
世の中に何かしら貢献出来た気がして、
毎日ワクワクしながらPCでキャッチコピーを
考えてやり甲斐を感じる日々。
名の通った案件を担当出来ている環境
いかに数値をあげるのか分析して
新施策を提案して改善してPDCA回して
仕事も人生もめちゃくちゃ楽しい。
友人や家族にも、
「凄い目が輝いている、何か生き生きしてるね。」と
周りから言われる程に激変しました。
眠りにつく前に明日が楽しいって思えて、
朝起きても健やかでやる気に満ちてから始まる1日。
私にとっては本当にかけがえのない幸せです。
現在の私はマーケティング抜きで
語る事が出来無いほど、人生を変えてくれました。
コンテンツで重要なマーケテイングを教えてくださった方々、
起業してから鳴かず飛ばずの間も励ましてくれた起業家の方々、
自分の価値を認識できたワンダフルステップの環境。
改めてお礼を心より申し上げます。
誠にありがとうございます。
こんな具合に過去について全て話しました。
時間を割いてプロフィールを
ご覧くださりありがとうございます!!
「ね?想像もしなかったですよね?笑」
才能も無い、文系出身の平凡大学生でした。
PCもレポートでWord使う以外に活用も
出来ていない程の能力しかありませんでした。
スキルも能力も関係ない。
誰にでも平等に活躍できる機会をくれた
インターネット、現代の技術には感謝。
過去にコンプレックスに固められた私でも、
ここまで変わることが出来ました。
私は完璧でも何でもない、挫折ばかりの人間。
だから皆さんにも自信を持って欲しい。
私と同じように自信無くて、
自分を好きになれないでいる人に
全てを諦めて暇っている方に、
今日のプロフィールを読んで1mmでも
勇気を出す契機になったら、泣いて喜びます。
この辺で、締めくくりますね。
最期まで、ご覧いただき誠にありがとうございます。
また他のブログ記事でお会いしましょう(^^♪